Monday 23 July 2012

反原発運動で日の丸を掲げることへの違和感。

日本人が自分たちの国旗を振って何がおかしい?」という意見もあるでしょうが、日の丸は単に日本を象徴するのではなく、福島の事故を招いた日本の決別すべき部分を象徴していると思うのです。

旧枢軸国のドイツとイタリアは国旗を変更して第二次大戦後を再出発させています。日本だけが、外国への侵略と無条件降伏という失敗がまるで無かったかのように、同じ国旗を使ってきました。それは、福島の事故がまるで無かったかのように、原発の再稼動へと進む今の政府のようです。野田首相が事故の責任は誰にもないと発言したと聞いて、私は「さすがは今でも日の丸を掲げる国家のリーダーが言いそうなことだ」と思いました。

ついでに書けばドイツ・イタリアは国歌も変更しましたが、日本はどうでしょう?君が代の歌詞はそのままに解釈の仕方だけを変えました。小渕首相のコメントを転載します。
(「君」とは)「日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す。」
「『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる。」(君が代の歌詞を)「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当。」 
「君が代」を「我が国」と解するのが適当だなんて、そんなまどろっこしいこと言ってないで、歌詞変えたらいいのに。きっと発言している首相自身、こんな解釈を信じてませんよ。建前として、こう言っとけば丸く収まるぐらいにしか考えてないんじゃないですか。なるべく誰からも批判を受けないようなロジックを官僚に用意してもらって、それを読んでるだけでしょう。同じように、福島の事故を受けて原発施設のストレステストをやった本人たちも、安全性が妥当という自分たちの判断を信じてないと思います。でも建前として原発は安全だと言うことになっているのではないでしょうか。

恐らく第二次大戦で負けた直後は、国旗・国歌の変更はオープンに議論できたと思うのですよね。それが、だんだん忘却され世代も代わり、国旗・国歌を変えようなどと言ったら大層偏った左翼の人なんて思われるようになりました。そんな国だから、原発問題もきっとそうなると危惧します。今だから原発の是非をオープンに議論できるのであって、いずれ事故も被害者たちの存在も忘れられ、原発反対なんて言う人は大層偏った左翼に違いないとみんなが思う社会に逆戻りする。そんな気がします。

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